創業の歴史
創業の歴史
酒類製造販売会社の成り立ち
昭和16年10月1日、日本が戦争の真っただ中にあった時代に当社は創業しました。
群馬はもともと清酒の移入県でした。その上、戦時中の飲用アルコールは原料米の使用制限下にありました。
このような戦時下にあって、群馬県民は酒不足の状態におかれていたのです。
この難局から脱するため、群馬県内清酒メーカーから当社に対し提案と要望が出されます。
「酒不足の折柄、これを補うため甘藷(さつまいも)や雑穀等によるアルコール製造をして合成清酒、焼酎を作られたらどうか」
これを受けた当社は、酒造組合との共同事業として酒造りを開始しました。
戦時中の物資不足の世にあって、庶民は国民酒場に行列した時代です。
「1合の酒の尊さを目前にして、酒徒の心を心として」
酒造業者として、酒を求める人々に酒を届けたいという思いが、そのまま創業精神となりました。
工場設備の変遷
昭和16年の創業当時は、蠟山(ロウヤマ)酒造株式会社から譲り受けた製造所で操業開始。
製造設備は大阪高等工業学校(現在の大阪大学工学部)の岩井喜一郎教授に依頼、共同酒精株式会社の社名で新発足しました。
当時は消費産業への資材配給は制限され、蒸溜機、ボイラー、煙突などの設置許可に苦労しました。しかし、幸いにも県当局は当社が組合の共同事業であることを特に考慮して、許可を出し、ほどなく木に竹をついだような粗末な「手造り」工場が完成しました。
群馬の誇り
群馬の誇り
群馬は水の宝庫です。
赤城、榛名、妙義、上毛三山の裾野が広がる豊かな自然と、谷川岳の雪解け水を集めた利根川、烏川をはじめとする豊富な水に恵まれています。
また上毛三山のふもと、利根川、四万川、阿賀野川の流域には、草津、伊香保、水上、万座、四万といった有名な温泉が良質なお湯をたたえているのも群馬ならでは。
東京から100㎞の近さにあり、生産・流通の要衝となっている群馬高崎。
この「地の利」を生かし、水と材料にこだわり、自然の恵みに感謝をこめた酒造りを続けています。
群馬は風も有名です。
風速20m/sを超える「上州名物からっ風」。
冬季は晴天の日が多く、澄んだ空気が高台から勢いよく野菜畑に吹き込みます。
この自然環境により、群馬では昔からさまざまな野菜が作られています。
美峰酒類では、「麦」「こんにゃく」「ねぎ」など上州産の農産品を使い、地の産物の妙味をひき出した独自の味わいある焼酎を製造してきました。
また新潟支社では「こしひかり」を使った焼酎を製造しています。
群馬の文化や人情をまとめたものに、
「上毛かるた」があります。
「ら……雷と空風 義理人情」
「に……日本で最初の富岡製糸」
など、群馬の文化や人情をより豊かな表現にした、オリジナルのかるたです。
こうしたこだわりは美峰酒類にも共通しています。
美峰酒類が人々にご提供できるものは何でしょうか?
それは単に物としての
「酒」ではありません。
「酒のある暮らし」
「酒がもたらす幸せ」
つまり、創業精神にもある
“1合の酒の尊さ” こそ、
お届けしたいものなのです。
未来へ向けて
未来へ向けて
群馬は、良質な水、澄んだ空気、冬場の低温の環境、古くから盛んな稲作など、酒造りに適した自然環境に恵まれています。
こうした伝統ある地域風土のもとで、美峰酒類は、決して流行や類似品に迎合することなく、お客様のために愚直に良い製品づくりに向き合ってきました。
これが美峰酒類の伝統であり、今日の評価につながっていると自負しております。
今日の基盤を固めた焼酎、合成清酒、アルコールの品質第一の製品づくりを通して、今後も、多様化する消費者嗜好に対応した商品開発に取り組む所存です。
これからも、群馬の酒造メーカーとして、創業の精神を忘れることなく、地域の持ち味を存分に生かした酒づくりを続けてまいります。
今後の美峰酒類に、より一層のご指導ご高配を賜りますようお願い申し上げます。
群馬は、良質な水、澄んだ空気、冬場の低温の環境、古くから盛んな稲作など、酒造りに適した自然環境に恵まれています。
こうした伝統ある地域風土のもとで、美峰酒類は、決して流行や類似品に迎合することなく、お客様のために愚直に良い製品づくりに向き合ってきました。
これが美峰酒類の伝統であり、今日の評価につながっていると自負しております。
今日の基盤を固めた焼酎、合成清酒、アルコールの品質第一の製品づくりを通して、今後も、多様化する消費者嗜好に対応した商品開発に取り組む所存です。
これからも、群馬の酒造メーカーとして、創業の精神を忘れることなく、地域の持ち味を存分に生かした酒づくりを続けてまいります。
今後の美峰酒類に、より一層のご指導ご高配を賜りますようお願い申し上げます。